【聖徳幼稚園 100年の歩み】
「聖徳幼稚園」は、1919年(大正8年)、富士北麓の山梨県富士吉田市(旧瑞穂村)の「聖徳山 福源寺」(浄土真宗本願寺派)境内に創設され「旧制・私立幼稚園」としての認可を受けました。「仏教思想・親鸞聖人の教え」を建学の精神に据えて、同年4月に福源寺本堂を園舎として開園式ならびに最初の入園式が挙行されました。戦後の昭和31年(1956)には「新制・学校法人」として「新制」による「学校法人・聖徳幼稚園」が始まりました。
山梨県内で三番目に歴史のある幼稚園です。「旧制・聖徳幼稚園」が産声を上げてから100年余り。その100周年の記念事業として令和3年(2021)には、回廊式の新園舎と芝生一面の新しい運動場が完成し、それに伴い「学校法人・聖徳幼稚園」は[幼稚園型 認定こども園]として、また新たな歩みを始めました。
これまでの100年の歩みに同じく「仏教思想・浄土真宗の教え」「まことの保育(浄土真宗本願寺派・保育連盟)」に基づき、仏教的情操教育とする幼児教育に努めていきます。園児一人一人の「いのち」が、<ともに願われ、生かされている「いのち」>であることへの気づきを促しながら、感性豊かな幼児教育を目指していきたいと思います。
仏教にいう「智慧の光明」にてらされて、園児たちからは園児たちの個性あふれる「いのち」の光が、先生方からは先生方の「いのち」の教育の光が、ともに輝き合いながら、幼稚園中、光いっぱい、になることを願っています。
理事長・園 長 渡 邊 了 生
所在地 | 〒403-0004 山梨県富士吉田市下吉田3-41-15 |
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理事長・園長 | 渡邊 了生 |
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TEL | 0555-22-0099 お問い合わせ時間 8:30~17:30 |
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FAX | 0555-22-0165 |
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定員 | 合計180人
※認定区分の詳細については富士吉田市のホームページをご覧ください。
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クラス名 | 年長 すみれ1組、すみれ2組 |
エネオス・ガソリンスタンド(へだもん)の向かい側・福源寺山門東側に「福源寺・聖徳幼稚園 駐車場 P1」がございます。2022年から写真手前方向(西側道路から)に加え、奥から(東側道路から)の侵入も可能となりました。
「P1」以外にも、エネオスを西側に進んだ所に「P2~P4」がございます。
P2駐車場
「P3」「P4」駐車場
「聖徳山 福源寺(浄土真宗本願寺派)」は、元は真言宗伝燈の道場・聖徳寺だったが1447年に本願寺中興の祖・第8代 蓮如上人が同地を巡錫したおりに浄土真宗・本願寺に変わり、寺号を福源寺と改称した。開基は浄光(俗性は渡邊伊賀守)。
当時の寺基は現在地の東約3キロ(東町)にあった。そこには今も「浄土三部経塚」がある。1725年、現在地に寺基を移転。江戸期には春正寺・勝曼寺・浄願寺の坊舎3宇を持ち関東における真宗伝道に重要な役割を果たした。現在の境内には、優雅な「六角太子堂」があり、市の重要文化財に指定されている。
明治期には、本願寺が同寺を「山梨教校」に指定。築地本願寺の「築地教校」とともに関東地方の教学研鑽の二拠点としての重責を担った。1919年、「福源寺」境内に開園された「聖徳幼稚園」の園名は、福源寺の山号「聖徳山」に由来する。